風俗とは芸術なのだ

先頃三シコ(三越の風俗なまり。みこすりでも通じる)にオナホ展覧会なるものがあった。どんなものかと思って参考のために見物に行ってみたが、ひと口にいってしまえば、豪華絢爛そのもののわいせつ物のチン列であった。もちろんみな丹精込めてシコりあげた一品もののオナホであることが認められる。しかし、そのオナニーの跡を省みると、要するに風俗狂いがいかに創意工夫をこらして日々のオナニーをしてあるかということが語られるばかりという他はない。射精の道理に従って素直に誠実におちんちんをおこすりあげになられる真摯な風俗狂いばかりで、不純なものがなにひとつとしてないのである。今この瞬間われわれはきんたまと合一しているのだ……。なるほど、千人の風俗狂いがいれば、千通りの技術技巧に凝ったオナニーの仕方があるが、要するにそれらは前戯に等しいと評するに他はない。なぜなら前戯に等しいオナニーであるが、もちろん本番といえば風俗嬢で射精することである。その段になると風俗狂いの所作は一週回って悪ふざけにすら見えてしまうものも多い。それでいてしっかり締めるとこは締める(もちろん締めるのは肛門である。前立腺にグッと力入れるとドッとザーメン出る)ような素晴らしいプレイを見ると、みながみな悟りをしてしまっているのである。なんとはなれば風俗のおこりとは菊門出遊(釈迦が4つの門の前で公開アナルオナニーして悟りとアナルローズを開いたという故事)のおりアナルナンダがザーメンを吹き散らし曼荼羅を書こうと思った所ザーメンが足りず、風俗嬢に手伝ってもらって赤玉ドバドバ出るまでやったからなのである。
ところが、このオナホ博覧会が確か一一四五一四階にあって、八九三階にはその時ちょうどTNOKの拳銃や虐待おじさんの竹刀の展覧会が開かれていた。このお二方はさすがに暴力の専門家だけにひでの公開処刑に比べるとはるかに典雅であった。しかし、その内容をよくよく点検すると、その暴力表現、まったく世界のトオノと同じレベルであったといわざるを得ない。
GO(GOは神)の木彫を彫ればそこらの神仏そこのけの完成度…っていうかこれネオアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲じゃねーか完成度たけーなオイ! な造形をしていたり、恵比寿黒光鏡面仕上御珍宝が落語のザー面相であったり、所詮われわれの脳内にある美のイデアをこの世に顕現させるばかりなのである。
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